コンテンツの洪水がもたらした超個人的な弊害
15年前のぼくはこんな面白いCM、こんなおされな映像をいつか作ってみたい!と思っていた。
しかし、ここのところ、このようなコンテンツに触れるたびに(すべてがそうではないけれど)うっとおしく感じてしまう自分がいる。
あってもなくてもどっちでもいいよ、こんなコンテンツ。
このような心境の変化は、ヤフコメだったり、You Tubeだったり、まとめサイトだったり、pixivだったり、プロではない個人個人が自分の意見や作品を投稿する機会が増え、その意見や作品の洪水被害に毎日見舞われていることと無関係ではないと思っている。
当たり前だけれど、その大部分がどうでもいいコンテンツだったりする。
そして、この記事にも書かれているけれども、「(うんざりするような)ばかばかしさやくだらなさ」が価値を帯びるトレンドが発生していることも無関係ではないと考えている。
このような作品をひとつ作り上げるのにどれだけの苦労があると思っているんだ!というお叱りを受けるかもしれない。けれど、ぼくは目の前に出された料理が美味しいかどうか。それしか望んでいない。裏側にあるプロセスに興味はない。作った本人が勝手に努力して勝手に苦労しているだけだ。
ただし、「美人やカワイイは正義」という考え方には同意もするし共感もする。
オリエンタルランドのように、ただ1位を目指すのではなく、ダントツの1位を目指したり、突き抜けた強さを追求していくという戦略をぼくは今のところ支持している。