時代はCSRからCSVへ?
2週間もほったからしにしてしまったブログを書くことにします。
10年ぐらい前からでしょうか、CSR(Corporate Social Responsibility)という考え方が日本に取り込まれました。
ぼくもCSR活動に関する提案を何回かした記憶があります。
大手企業のコーポレートサイトを見ると、必ずグローバルメニューに「CSR」の文字を
見るようになりました。その活動の中身についてはは途上国の子供たちを救う活動や地球環境を守る活動が多いように思います。
最近はそのCSRという考え方をさらにブラッシュアップしたCSV(Creating Shared Value)という考え方をネスレが取り入れているようです。
CSVハーバード大学ビジネススクール教授のマイケル・E・ポーターが中心となり提唱している概念で、CSVは企業にとって経営戦略の一つとして認識され、本業に即した形で社会的課題を解決する取組みを行っていくべきだという考え方のようです。
CSRが経営やマーケティングと切り離された慈善事業という側面が強かったのと比べると、CSVはより経営やマーケティングと一体となった社会貢献活動というニュアンスでしょうか。さらに言うとより具体的な「見返り」を生むための活動といえるかもしれません
ぼくは地球環境に対して行うさまざまな個人、法人、国家レベルの活動というのは、今までさんざん一方的にいじめてきた地球に対する懺悔だと理解しています。言い換えれば、地球がもつさまざまな資源を殺してきたことに対する罪滅ぼしということでしょうか。何の罪もない人を殺めた人間が刑をもって罪を償うことは当たり前の行動であり、そこに特別な対価や称賛が与えられるべきではないのではないでしょうか。
いつも置き去りにされる「商品のチカラ」
商品>販路>プロモーション
マーケティングの中心は販路だと考えます。
なぜなら、どんなに商品がすばらしくても、どんなにプロモーションがチャーミングだとしても売場にその商品が置いてなければ、ユーザーはその商品を手に入れることが一生できないからです。
そしてそれ以上に大事なのが「商品力」であり「商品のチカラ」だと思います。流通サイドとすでに太いネットワーク、信頼関係をもっている大手企業であれば別ですが、商品にチカラがなければ販路は取り扱ってくれません。もし僕が、バイヤーであれば、商品に魅力を感じなければ、その商品を取り扱うことはないと思います。つまり、ユーザーの手元にその商品が渡ることは一生ないということになります。
広告・プロモーションの世界にいると、どうしても国内海外の広告の成功事例とか、面白いプロモーションで話題になったとか、巧みなクチコミ戦略がそこにはあった・・・というようなニュースに多く触れることになります。ですが、なにか広告やプロモーションのチカラでその商品が売れたみたいなニュアンスが強く流れてしまうことに強い違和感を感じます。
そこにはプロモーションが機能するために必要な最低限の「商品力」「商品のチカラ」が存在していたという視点が薄められている気がするのです。
商品に少なくとも1以上の価値があるからプロモーションは機能するのだと思います。
プロモーションは1以上のものを増幅させることはできても、マイナスのものをプラスに変えることはできません。腐った牛乳をプロモーションのチカラで購買に結びつけることは可能でしょうか?牛乳であれば、大手メーカーによる最低限の安心と最低限の美味しさが担保されているからこそ、プロモーションは効果を発揮するのだと思います。
あるいは、「いい商品さえつくれば売れるわけではない。」という言われ方もよく耳にします。これは言い方を変えれば「いい商品を作ることが前提・必要条件であり、そこをクリアしなければ売れることはまずない。」ということです。
永く大手企業の商品の広告・プロモーション業務に携わっている感覚で、新規事業を立ち上げようとすると、この商品力が「ないがしろ」とまではいかないまでも、軽んじんられる傾向があるような気がしています。
また、商品力に紐づくと思いますが、その商品の作り手の「ブランド力・メジャー感」もユーザーにとっての購買選択の大きな基準になることも忘れられがちな視点だと感じています。はじめから商品力やブランド力がある程度担保されているような感覚でみなが考えてしまう。それでは確実に失敗するだろうと思います。というか前回の事業では失敗しました。
情報過多、商品過多、サービス過多の時代に価値あるものを生み出すことは本当に難しい。商品力のある商品やサービスをゼロから生み出すのは本当に難しいと感じる今日この頃です。
「多様化」しているといわれているものについて思うこと
世の中ではいろんなことが多様化しているといわれています。
「ダイバーシティ」なんてコトバもよく見かけます。
このコトバを見ると、どうしてもお台場のガンダムや自由の女神が頭に
浮かんでしまいますが。
今回はこの「多様化」について考えてみます。
1)メディアの多様化
・・・メディアが多様化し・・という言い回しはネットのニュースだったりコラムだったり、提案書だったりといろんなところで見かけますが、イマイチピンとこないところがあります。僕の感覚では20年前頃から比較するとメディアは「2つ」しか増えていないような気がします。それは「パソコン(タブレット)」と「ケータイ(スマートフォン)」です。ほかに何かあるでしょうか。たとえば、デジタルサイネージもプロジェクションマッピングもARも、メディアというより技術ですね。
「ソーシャルメディア」はどうでしょうか。メディアとついていますが、パソコンやケータイから流れてくるソフトというかコンテンツという感じがします。You Tubeは放送局のようなイメージでしょうか。PSPもゲームボーイのバリエーションという気がします。最近あまり聞かなくなりましたが、「ユビキタス」社会がいつやってkるのかはわかりませんが、いろんなところからインターネットにつながりやすくなったということは間違いなさそうです。ただ、駅のホームや電車での移動中などは通信速度が著しく低下します。このあたりは今後どれだけ改善されていくのか楽しみなところではあります。
2)価値観の多様化
・・・これもどうでしょうか。いろんな人にお会いして話をしてみても、時代が先に進むにつれて価値観が多様化しているなあという実感はありません。ここ最近思うのは、恋愛系のドラマだったり話題が減ったなというのはあります。10年ぐらい前はそれが「ブーム」だったのかどうかはわかりませんが、彼氏や彼女がいないことが恥ずかしいような風潮があったような記憶があります。たとえば「男女間の友情は成立すするのか」みたいな議論の番組や記事などをずいぶんと見かけた気がするのですが、最近は「そんなの普通に成立するだろう。」という感じがします。
3)娯楽の多様化
・・・これはどうでしょうか。商業施設やライブイベントの種類は増えた気がします。4大エンタメコンテンツのゲーム、音楽、書籍、映画は、それが楽しめる小売店や映画館やゲーム機といったチャネルを超えて、アプリマーケットやインターネットを通じて手に入る(ときに違法に無料でも)機会が増えたことで、提供される環境やフォーマットが多様化したとはいえるかもしれません。そういえば、楽しめるスポーツは増えたような気もします。ゴルフとか、ティラピスとか、ダイビングとか、フットサルとか。オリンピックで新たな種目が追加されて、それが注目されて、私もやってみようという流れはひとつありますね。カーリングとか。フェンシングとかアーチェリーはどうなんでしょうか。。。フィギュアスケートとかスキージャンプは難しい気もしますが。スカッシュとかはかなりのいい運動になると思うのですが、東京五輪では残念ながら落選してしまいました。
新規事業の関する社内のブレストで、これからの時代はいろいろな価値が相対化されていく時代になるだろうという意見が出て、それはきっとそうなんだろうという気がしています。しかし、新規事業・サービスについてはそこに絶対的な価値があり、かつ、他の追随を許さないダントツを目指さないと続かないんじゃないかと思います。TDLのように。
下記、多様化ということについてトライバルメディアハウスの池田社長が
書いている記事です。
ニュースアプリとマーチャンダイジング
ニュースアプリを電車の中で見ている人をよく見かけます。
スーツを着たサラリーマン、ビジネスマンの方が多い気がします。
SmartNews(スマートニュース)| ニュースが快適に読めるスマホアプリ
Gunosy(グノシー)|ニュースが無料で読める!話題の記事や情報まとめ読みスマホアプリ
仕事をしたら“ニュースアプリ”ができた(後編):なぜニュースアプリを使うと「飽きる」のか――原因は“釣りタイトル”(たぶん) (1/5) - Business Media 誠
ニュースアプリの開発を模索していることもあり、とても興味深い記事テーマでした。釣りタイトルがひとつの原因。つまり、看板倒れというか、興味を惹くタイトルと、コンテンツ(記事)の薄さのギャップが激しいことがひとつの要因ではないかと言う仮説が展開されています。
冒頭にあげたグノシーとスマートニュースはどちらも使っていたのですが、いつの間にか見なくなってしまいました。その原因は何なんだろうと自分なりに考えてみました。思いつくところで3つあるのではないかと。
①ブラウザへの帰巣本能
これは自分だけかもしれませんが、アプリよりブラウザのほうが安心します。
コンテンツ自体の問題以前にアプリというジャンルがもともと飽きられやすい構造を持っているんじゃないかという気がします。ではなぜ、アプリは飽きられやすいのか?それはそれでひとつのテーマになる気がするのでまた別の機会に・・・ということで。
②Google、Yahoo検索までの距離
①と関連するかもしれませんが、芋づる式に知識を増やしていきたいというか、ニュースに出てきた知らない用語や気になるワードがすぐに調べられる状況にあって欲しいと考えます。たとえば、画面の上部にグーグルの検索窓がついていたら、ひょっとしたら少し変わってくるのではないかという気がしています。
③死に筋商品不足
スーパーやコンビニに売っているものは、すべてがそのときの自分の“ニーズ”を満たしていたり、自分に必要なものではありません。すべての商品がキラキラしていて、これ全部欲しい!と思えるような売場は疲れてしまうのではないか。「このニュース、全部読むとなるとしんどいなあ。」と感じてしまうというか。お店に入った瞬間にお腹いっぱいになってしまうというか。
抑えておきたい時事的なニュースと無駄などうしようもないニュース、そして、その中にキラリと光るニュース。そのような構成がよいのではないかという気がしています。
マーチャンダイジングというか商品構成の考え方に即して考えると、見せ筋商品、売れ筋商品、死に筋商品のバランスが取れていることがユーザーにとっての心地よさを生み出すのではないか。すべてのアトラクションがキラキラしていて、意気込んで全部制覇したい!と考えるディズニーランドよりも、雑貨屋さんのようなイメージがよいのかもしれません。
さて、どんなニュースアプリにしよう。
ソーシャルゲームVSパッケージゲームという構図を超えて
ソーシャルゲームも皮膚感覚として、一時期の勢いからすると、ひと段落というか、落ち着いてきた印象があります。
下記は、なんでここまでソーシャルゲームが大きくなったのかということを捉えるためにパッケージゲームとソーシャルゲームを比較したマトリクスです。
※知人のパズドラユーザーに聞くと、休日もパズドラを普通にプレイしているとのことでした。1ヶ月の課金額は5,000円ぐらい。登録人数の10%(MAU)のさらに10%とも言われる課金ユーザーを身近に見つけた瞬間でした。
パズドラ(ソーシャルゲームではなくスマートフォンゲームという位置づけのようですが、ユーザー感覚ではその違いはあまり見出せません。)が、なぜここまでヒットしたのかということを一言で表すことは乱暴だと思いますし、さまざまな要因が複合的に絡んでいると思います。
その中で大きいのは、スマートフォンならではのUIを活かした指操作による「コンボ」によって、今までにない爽快感をもたらしたことにあるのでないかと思います。
ソーシャルゲームが右肩上がりの成長を止めたとしてもゲームそのものがもたらす絶対的な価値まで失われるわけではないと思います。ゲームコンテンツの強さはほかでは味わえない「ハマると抜け出せなくなる中毒性」、「現実と乖離して、努力が報われる世界」、「それなりにがんばれば、ある程度の目標が達成できる。」ことだと思います。
これからはいろんものの価値が相対化される時代だと思います。
パッケージゲーム(メーカー)VSソーシャルゲーム(メーカー)で、どちらが儲かるのかという構図ではなく、さまざまなデバイス(家庭用ゲーム機、ポータブルゲーム機、タブレット端末、スマホ、アーケードゲーム)から、面白い作品が生まれてくるような時代なのかなという気がしています。
パズドラも子供向けにDS向けに「パズドラZ」、そして「アーケードゲーム」に進出をしました。両者ともプレイしたことはないのですが、DSソフトもアーケードゲームもそれぞれのデバイスや使用シーン、ターゲットに即したつくりになっているんだと思います。
たとえばですが、オトナも楽しめるムシキングのような作品が、サイクルを1周して、そろそろ出てきてもいいような気がしています。
Webデザインのトレンド
~今日の一言~
理由は作るものではなく、見つけるもの。
アドタイから送られてくるメルマガの冒頭風にスタートしてみました。
新たな事業を始めたら、それはアプリであっても、物販であっても、BtoBサービスであっても何かしらのポータルサイトを作ることになるんだろうなと想像して、早く昨今のUIトレンドを意識したサイト開発がしたいなあと思う今日この頃です。
会社のホームページにはその会社の文化やセンスがにじみ出るものだと思います。
就職・転職先を探しているときに、
ファーストビューがダサいと、ぼくは少し躊躇してしまいます。
あるいは、制作会社を探しているときに、
ファーストビューがダサいと、お問い合わせや発注を少し躊躇してしまいます。
ホームページも「第1印象や見た目が9割」なのかどうかはわかりませんが、
その先のページをポジティブな気分で回遊してもらうためには
かなり重要な要素ではあると思います。
クリエイティブが得意じゃない場合、たとえば、そのときのトレンドに乗っかるだけで、最低限「見ることに耐えうる」サイトにすることができるのかなと思います。ただし、そのトレンドを使いこなせるブレーンが当然必要で、ファッションと同様に、「このサイト、流行のフラットデザイン使ってるっぽいけど、こなれてないなあ。」と思われて、かえってイメージダウンにつながる可能性もあるとは思うのですが。
当然ですが、「今はこのUIが流行っているから使おう。」では単なる思考停止でしかないので、なぜそのUIが流行っているのか、そこに妥当な理由を見つけることができなければ、それは偶然のトレンドですぐに廃れる可能性があるという認識で臨みたいところです。
最後にいろんな方がまとめている2013年~2014年のWebデザイン、UIのトレンドについてのリンクを張らせてていただいて、今日は失礼したいと思います。
2013のトレンド Top10を振り返る – UI編 | freshtrax | btrax スタッフブログ
ダイナミックなエフェクトが魅力、パララックスWebデザインまとめ(+無料プラグイン9個)PhotoshopVIP |
縦や横に長いサイト「高級ペライチ」1度は見ておきたいスクロール演出のまとめ32個! | KAYAC DESIGNER'S BLOG - デザインやマークアップの話
コミュニケーションの必要条件と十分条件
新規事業開発を進めている中で、
今、ファッションをテーマにした新規事業・サービスを模索しているところです。
いろいろと調べていく中でふと思ったことがあります。
失敗しない洋服選びというコラムや記事はたくさんあるのに、それをそのままコンセプトにしたブランドはひとつもない。これは大きな機会損失ではないか。
自分らしくとか、大人っぽくとか、
キレイめ、とか、それらは十分条件であって、必要条件ではないと思う。
おかしくない許容範囲のスタイリング。それが必要条件だと思う。
それをマーケティングコミュニケーションの世界に置き換えてみる。
コミュニケーションの必要条件は「伝わる」ことだと思う。
それを通り越して、いかに「伝える」かからスタートするから、届かないんじゃないか。
世の中の普通の人たちは「なんか面白いことないかな」という気分でいることはあったとしても、「なんか面白い広告ないかな」という意識でいたり、
広告を見たり、聞いたりすることを前提に日常生活を送っているわけではないと
思います。
いかに共感してもらうかという前に、聞く耳をもってもらうことからはじめることが大事なのではないかと思う今日この頃です。